先日ある女性と話をしていたら、差別に関する話題が印象的でした。

ママ友グループで妙に差別したがる人がいるらしく、そこに嫌悪感があるという話。

子どものことを考慮して、そのグループの同調圧力に順応しなければならないことに疲れるらしい。

 

なるほど、どこの世界にも差別ってあると思います。

 

ふと小学生の頃を振り返る。

先生が、「お父さんがいない人、手を上げて。」という光景。

確か36人いるクラスに、私ともうひとりの女の子が手を上げた記憶。

それから、「お父さんがいなくて、かわいそうだね。」と何人かの同級生に言われ続けた。

「かわいそう」という言葉も印象的でしたが、仲が良かったクラスメートのEちゃんに、「ママに、ちなつちゃんは貧しい家庭で育っているから、お菓子を沢山食べて帰るし、家の中の物を盗んでしまうかもしれないから家に呼ばないで、と言われたんだ。ごめんね。」

今はこうやってブログに書いているので平気ですが、子どもの頃はかなり傷ついた言葉でした。確かに食いしん坊で、そこのお家ではケーキとか普段食べれないのが遊びに行くと必ず出てくるので残さず食べたと思う。

 

現在は、差別する人に対して批判されやすい世の中になってきたので、シングルマザーのお子さんが昔のような差別をされていないかと思いますが、やはり差別は無くならないと思います。

 

差別って、人間の本能ではないでしょうか?

差別を表に出すか、それとも隠すかの違いだと思います。

人種的な差別はもちろん存在しますし、家柄、学歴、職業など様々。

 

なぜ差別をしてしまうのか?

自分(もしくは家族や大切な人)を特別扱いしたいという本能的な欲求があるからではないでしょうか?

 

占星術で例えると、「愛の軸(5室と11室)」のテーマです。

愛を与えたいし、愛されたい。

 

そのテーマが存在するからこそ、差別する人間の感情を理解する。

太陽蟹座の時期ですので。。。